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フラメンコ思いつくまま
 
私はフラメンコが好きだ。 だからといって、フラメンコなら何でも良いってわけじゃない。
「フラメンコ」の名前の由来は,フランドル人がなまったという説や,フラミンゴが変化したなどの説があるが、どれも定かでない。
基本的には即興で演じられるものだった。
歴史は約200年 (現在の形式が固まりはじめたのは)と、それほど長くはない。現在の形式が確立したのは20世紀に入ってからだ。
アフィシオナードの存在がある。
インドからアンダルシア地方に流れていったジプシーが創った 。
純粋なヒターノは,シギリージャ,タンゴス,ブレリーアス一辺倒 。
アンダルシアの民謡に影響を受けている 。
アンダルシアのフラメンコおばちゃん達は太っている人が多い
(1級品の踊り手はやっぱり太っていない)
フラメンコは次つの要素で構成されている。これらの要素が純粋に表現し合って結合した瞬間に 最高のフラメンコが生まれる。
.・ 歌(Cante)・ 踊り(Baile) ・ギター演奏(Toque)・ ハレオ(jaleo) ・詩の朗誦
フラメンコと普通の音楽の概念とはは切り離して考えるべき。
プロフェッショナルは沢山いるが、真のアルティスタは少ない。
フラメンコのグループは大きく分けて2種類ある。
1つは、ファミリーであり、
1つは個人個人で活躍しているアルティスタが集まって作る即席のグループである。
ファミリーの良さは、バックにまわったとき、自分が目立つことより身内を引き立てようとする気持ちが顕著である。
曲名で呼ばず,形式(パロ)でいう→アレグリーアス 、ソレアなど。
フラメンコには60以上の形式があるが,
一般に演じられるものはその半分にも満たない 。
1977に行われたパコ・デ・ルシアのラテン・アメリカツアーでカホンが使われて以来、 今ではカホンはフラメンコに欠かせない楽器として完全に定着している。
 批判されがちの過剰に陥らないようコンパスごとにそのスタイルを磨ぎ、楽器としての安定感を見つけ始めているカホンはフラメンコ第四のモダリティーになりつつある。
 この完璧なフィットの理由は、パルマとタコネオの間にあるカホンの特殊なサウンドにある。

flamencoflamenco
フラメンコは神への叫び、そして自分への叫び。
フラメンコの踊りはバックとのコミュニケイション―ハーモニーが大事。全員が一体になることで素晴らしい舞台が生まれる。
純粋なヒターノは,シギリージャ,タンゴス,ブレリーアス一辺倒 。
クワドロフラメンコの心得は「皆は一人のために、一人は皆のために」 の精神が必要。
良い踊り手の手のひらからは「気」がでている 。
条件がそろえば,フラメンコはマイクを使わないほうがよい 。
技術のあるアルティスタを集めただけでは良いフラメンコはできない。
照明は無意味に凝るより。光と陰が効果的に計算されていればナマ明かりがよい 。
ヒターノの多くはパリージョを使わない 。
フラメンコの魅力はフエルガ・フラメンコにあった 。
ワンステージで,ソレアーかアレグリーアスが演じられないことはない。
フラメンコの真髄はホンドにある 。
フラメンコのフラメンコたる条件はしっかりしたリズムにある。それは機械的に正確というのではなく、魂の鼓動を伝えるものでなくてはならない。
パルマだけで感情を表せる 。
  原則として電気楽器を使わない 。
歌はチーコであっても,踊りはグランデの場合もある 。
楽譜を使わない ―楽譜に表せない。
Paco De Luci´aは楽譜が読めない
フラメンコを理解するには,フラメンコを生み出した人々や不朽のものにした人々の、 人生観、姿勢、習慣、信念、好き嫌いについて 何らかの理解ができるようにならなければならない。
全体にあか抜けない⇒洗練されていない⇒素朴⇒それが良い 。
フラメンコの神髄はドゥエンデとグラシア 。
何を歌っているのかを理解するよりももっと大切なことは、どのように歌っているかを感じとることである。―ギターや歌のニュアンス(意味ではない)を感じて踊っている踊り手が少ない
技術よりもオンドゥーラ(奥深さ)が大事。
スペイン人はどんなアルティスタも,リズムだけはそれなりにしっかりしている
バックにまわったとき一生懸命やる踊り手が少ない
身体の大きな踊り手で大成した人が少ない
技巧の名手であったとしても、必ずしもホンドの部門でのアルティスタである資格にはならない。
技巧の名手は冷たい機械になりがちである 。
曲をホンド(深い)、インテルメディオ(中間)、チーコ(浅い)と分ける習慣がある。この言葉は踊手、歌い手を分類するときにも使われる。
グランデとチーコをひとりで歌いわけ,または踊り分けられるアルティスタは少ない→別に悪いことではない。その道に徹することが大事。
一人の踊り(ソロ)ではどんな具体的なストーリーも語られることはない。
ドゥエンデという独特の言葉が存在する 。
良い踊り手の胸回りには気迫を感じる。
良い踊り手の生涯に持つレパートリーは極端に少ない。
技だけを見せる者と,心を表現する者がいる
Bailaoraのいのちはブラセーオ。
よいアルティスタの舞台は、同じモノを何回観ても飽きない。
今日の踊り手の著しい技術の進歩は、”アルテ”を食い尽くしてしまった。

最近のフラメンコ
最近のフラメンコは退屈するものが多い。軽薄なリズム遊びが延々と続き、結局は名人芸の披露のみに終わっている。
最近の踊りは1曲が長い。
いちばんフラメンコの名に値しないのが踊り手である例がしばしば見られる。
マドリードでは観光客用のフラメンコが多い。
誇りと品格を持った踊り手は少なくなった。
最近の踊り手はやたらに難しいサパテアードをやりたがる。
スペインでもフラメンコの神髄はなくなりそう?。
最近のフラメンコは違う音楽と組み合わせたがる
ベテランになるとクワドロフラメンコをやらなくなる 。
最近の踊り手は心より技術を優先する 。その点ではバイラオールは以前と比べてダンサーと呼ぶに相応しいが、そのことは踊りのオンドゥーラ(奥深さ)を失わせた。→“技術がアルテを食い尽くした”
スペインのアルティスタは疲れを知らないようにみえる。
スペイン内では意外にパージョの活躍が多い
フラメンコの踊り手を、ダンサーと呼ぶには少しニュアンスが違う。動きの中にオンドゥーラ(奥深さ)が求められるからである。が、今日においてバイラオールは技術の進歩の面だけで皮肉っぽくいえばダンサーと呼ぶに相応しい。
しかし、そのことはオンドゥーラ(奥深さ)を失わせたともいえる。

tecnica
技術の習得に時間がかかる 。
パルマにもハーモニーが必要。
パレハ(男女で組んで踊ること)において,サパテアードは2人の会話 。
リズムが不規則(コンパス内の,一拍が同じ長さとは限らない) 。
ソレアーとアレグリーアスはリズムが同じ。なのに、雰囲気はまるで違う。
ハレオの質は大きく3種類に分けることが出来る。
1つは、ファミリー的な思いやりのハレオ
1つは、観客に徹した感動からでるハレオ
1つは 、自分が目立ちたいハレオ
サパテアードはタップのそれより重く力強い 。
フラメンコはフラメンコ的な生き方が単に外部に現われた表現に過ぎない。
アントニオ・ガデスは線で踊る。マリオ・マジャは点で踊る。
フラメンコのリズムは2拍子系と,3拍子系に便宜上分類されている。――あまり意識しないほうが良い。
en Japon
日本人は世界一のフラメンコ好きな民族
フラメンコ教室のほとんどが、最初にセビジャーナスを教える。
日本のアルティスタは、 ホンド(深い)、インテルメディオ(中間)、チーコ(浅い)の意識が薄い。
日本では、スペインからプロの踊手、歌い手、ギタリスタは呼ぶが、専業のパルメーロは呼ばない。
日本の踊手のリサイタルには殆どスペインからのアルティスタが参加する。
日本の踊り手のレパートリは多い。
日本人Bailaoraは定期的にスペインへ振付を仕入れに行く
日本にはプロフェッショナルのパルメーロ(ラ)がいない。
日本の踊り手はパルマを軽視するきらいがある
日本においては,即興演奏は少ない 。
日本にはフラメンコ協会がある 。
日本には完全なフラメンコグループがない 。(アトランタ以外)
日本には厳しくフラメンコを観れるアフィシオナードは極端に少ない 。
日本には専業のパルメーロ(ラ)がいない。
日本には本格的なタブラオが1軒もない 。
日本の舞踊団には専属のギタリスタやカンタオールがいない 。
日本には録音テープだけでフラメンコを踊る踊り手がいる 。―さすがに最近はすくなくなった。
日本の踊り手はフラメンコのもつ情熱という言葉にあこがれている。フラメンコをやっただけでは情熱は手に入らない。
日本は圧倒的に踊り手が多い 。
日本在住のスペインアルティスタは唄手が多い 。
日本在住のスペイン人アルティスタは,どこかで日本のフラメンコを認めていないところがある 。
日本人だけの本当のフラメンコを見られる機会は少ない
日本のフラメンコ人口はスペインより多いといわれている
日本人のハレオは感情がこもっていない
日本人のリズムは甘い (リズムを規則でとらえ、感性で捉えていない)
日本人は,タブラオで演じるよりも,大きな劇場でやれる人の方が上と思っている
日本人は歌手がいなくても平気でステージを構成する。―最近はさすがに少なくなった
日本では,発表会という独特な催しがある 。
日本ではカンテソロが演じられることが極端に少ない 。
日本ではタブラオで詩の朗誦が行われることはない 。
日本では歌い手が極端に少ない 。
日本の踊り手は振付を面白い、面白くないという観点で考える。感じるか感じないかが大事。
日本でフラメンコというと,カルメン,口にくわえたバラ,パリージョを思い出す人が多い 。
日本において,演唱活動だけで生計を立てている踊り手は一人もいない 。